雑誌のカタチ

若い人は雑誌にはもはや興味がないとか、
携帯とネットの影響で本だって読まないとか、
出版不況の原因は根拠のない説明によって
説明されがちだけれど、それって本当に根拠がない。
ひとえにコンテンツ作りの力の不足が原因だろうに。


「活字を読む世代はもはや限られているから、
そこに向けて球を投げ続けることが大切だ」
というのは、死に行く世代のことしか考えていない
ものづくりだ。
作り手がワクワクしなければ、読み手にとっても
ワクワクするものなんて生まれない。
作り手が若いのであれば、若い感性で勝負できる
場(雑誌)がなければ、老年世代の感性にムリに
でも若手があわせるという不毛なエネルギーの
使い方が生まれるばかりだ。


結局そうやって作り手と読み手とのギャップが広がる
ほどに、そのつまらなさは読み手にも伝わって、
売れるはずのものもますます売れなくなる。
そして、雑誌を作りたいから編集者になりたい
なんて若い人もますますいなくなる。
(これはテレビだって新聞だって同じかも)
つまるところ、こうして雑誌はつまらなくなった
んじゃないんだろうか。


ロングセラー『思考の整理学』の外山滋比古さんの
『新エディターシップ』には、
優れたエディターシップを持つ人こそが、新たな
文化を創造すると書かれている。

新エディターシップ

新エディターシップ

それは何も編集者に限らず、外交官や通訳、デザイナーなど
断片的な素材をつなぎあわせ、統合する作用によって
創造的な活動を行う人すべてのことを指している。
少し前には最相葉月さんが、日経新聞のプロムナード欄に
「これからはますす編集者の役割が増すだろう」と書いていた。
編集者というかたちで仕事が存在し続けるかどうかは別と
して、私もエディターシップの必要性は増しているように感じる。