再読 武田百合子

「2人の人から同じ本を薦められたら、その本を買って読むことにしている」
と言う彼氏の本のセレクト基準を聞いて、うーん主体性がない選び方だなどと
思ったものの、実は私も無意識のうちにそうやってある本を手にしていた
ことに気づいた。


富士日記〈上〉 (中公文庫)

それが、武田百合子の『富士日記』。
武田百合子といえば、作家・武田泰淳の妻であり、
写真家・武田花の母である。
表表紙を開くと、無造作な結わえ髪にタバコをくゆらせる
彼女のプロフィール写真がのっている。
私に『富士日記』を薦めたひとりは、
「作家の顔に惹かれなければその人の作品を読まない」と言い、
彼女がそうして読むようになった好きな作家のひとりが水村美苗であり、
そして武田百合子なのだ。



武田百合子は作家になるべくしてなった人だと思うが、
作家になろうとしてなった人ではない。
それは『富士日記』が世に出ることになった経緯(いきさつ)からして、そう。
泰淳と百合子夫妻は、ある日から赤坂と富士山近くに建てた別荘とを頻繁に
行き来する生活を送るようになる。そして、富士での生活こそが中心になっていく。
その富士での生活の記録を、百合子が中心となって(初期には泰淳も、時に娘の
花も筆をとる)日記に記す。それが、泰淳が死ぬまでの13年分。


朝・昼・夜何を作り何を食べ、今日の富士の景色はどうであったか、
編集者との原稿のやりとり、近くに住み始めた大岡昇平夫妻との交際……。
記されるのは日記そのものなのに、男っぽくて飾らない百合子の人柄と、
よけいな装飾句などつけずに見たままを記す(エゴのない)文体は、
読むうちに不思議と癖になる。
そして、生活の中の日々の変化が、それだけにいっそう胸に響いたりする。


たとえば、飼い犬のポコが死んでしまう中巻の描写。

トランクを開けて犬をみたとき、私の頭の上の空が真青で。
私はずっと忘れないだろうなあ。犬が死んでいるのを見つけたとき、
空が真青で。」(p.160)
「旧道を帰る。広い稲田の中を走っていると、鋼のような青い空に
入道雲がそそり立っている。気が遠くなってくる昼間だ。犬が
死んだことが、たとえようもなく、わけもなく悲しい」(p.166)

百合子さんの五感が研ぎ澄まされて、彼女の目に映るもの、
耳に響くものすべての描写が、ぐっと迫ってくる。


石川直樹 写真集 Mt.Fuji
ちなみに石川直樹さんも、富士日記ファンのひとり。