上野千鶴子の指摘 家父長制と資本制

上野千鶴子の本が続々と出ている。
編者としてまとめている『戦後日本スタディーズ』(紀伊国屋書店
もそのうちのひとつだけれど、再読に値する二冊の本
『セクシイ・ギャルの大研究』(光文社カッパブックス
と『家父長制と資本制』(岩波書店刊)が岩波現代文庫から新刊で出た。

この2冊には、補論のような形で新たな書下ろしが加わっている。
『家父長制と資本制』で「自著改題」として書き下ろされている
その文章には重要な指摘がいくつもあって、私は何度か胸を打たれた。


その1つが「『家父長制と資本制』の妥協と葛藤について、
だれかによって続編が書かれなければならない」ということ。
本書は理論編と分析編の2つのパートから成り立っているが、
分析編の射程は90年代までしか含まれていない。
よって、それ以降の20年間についての考察がなされなければ
ならないという。多忙をきわめ、ケアの研究に力点が移っている
上野さんの手によっては、もはや続編は書かれることはないのだ。


続編が書かれなければならないと言うのには、理由がある。
すなわち、2000年代に入ってからのネオリベ革命による環境変化への危機感だ。
男女共同参画」という名ばかりの男女平等政策のもとに、
女性は競争のもとに投げ込まれ、選別される対象となった。
GDI(ジェンダーエンパワメント指数)、すなわち教育・経済・政治などの
分野への女性の参画程度の指数を上げることを目標とする
リベラル・フェミニズムが力を持つのが現状。
でも、上野さんは一貫して「女が男なみ」になることを求めてこなかった。
むしろ、過労を強いるような男性型の働き方を批判し、
女性型の働き方が男性にも広がるようなかたちを目指してきた。


上野さんは「自己決定する主体の間の競争と選別の原理に
参入していくことがフェミニズムのゴールではない、
という気持ちをわたしは強めるようになった」という。


今、勝間和代の本が売れ続け、女性の中にも彼女のようにならなければ
という強迫観念のようなものが少なからずあると思う。
仕事にも子育てにも、美容にもぬかりなく、という。
でも、彼女は男が作り出したビジネスの文法・構造にのっかるかたちで
成功したスーパーウーマンに他ならない。
少子化が叫ばれ、少子化を改善しなければと男たちが声を大にして
言うときに、彼女のようなやり方での仕事と子育ての両立が広まることへの
違和感は私も強く感じてきた。リベラルフェミニズム的な考え方がなし崩し的に
日本を覆い尽くす前に、今一度、フェミニズムを捉えなおし、男性の手による
文法をあらゆるところで書き換えなければ、本当の幸せはもたらされないと思う。
上野さんの指摘は、とても重い。